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まだまだ健在! イランの現代建築
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イランの建築といえば誰もが(?)思い浮かべるのが青いタイルに覆われた壮麗なモスクであろう。そして、建築史でもセルジューク朝期やサファヴィー朝期にその絶頂期を見ようとする傾向が強いように思う。そして、「近代」の訪れと共に衰退するというイメージが強いように思う。

しかし、私が今回見てきた限りでは、イランの現代建築はまだまだ健在だと思った。そうしたものについて、少しだけまとめてみる。

近年になって建てられたモニュメント

オマル・ハイヤーム廟
写真345 オマル・ハイヤーム廟
(ネイシャーブール)

アリー・スィーナー廟
写真843 ブー・アリー・スィーナー廟
(ハマダーン)

写真345はイラン北東の古都ネイシャーブール(歴史の教科書などには旧名「ニーシャプール」として登場する)にあるオマル・ハイヤーム廟

オマル・ハイヤーム(1048〜1131年)はニーシャプール生まれの11世紀〜12世紀にかけて活躍した知識人。今日では天文学の領域に当たる分野で非常に正確な暦を残したことで知られるが、今日ではとりわけ四行詩集『ルバイヤート』によって有名である(邦訳も岩波文庫にある)。もともと墓があった場所に新たに建てられたものらしい。

一見、何の変哲もない「変なオブジェ」だが、よくよく見ると様々なところでイスラーム建築の要素を使い、それらを巧みに組み合わせていることに気付いてちょっと感動した。アーチを組み合わせて網の目状の模様を作るやり方やドームっぽい天井の仕上げ方、青いタイルでの装飾とそこにアラビア文字を使ってこの大詩人の詩の一節を装飾の要素にしていることなどがそれにあたる。

写真843はイラン西部の古都ハマダーンにあるブー・アリー・スィーナー廟。ブー・アリー・スィーナー(980〜1037年)は「ヨーロッパ」ではイブン・スィーナーないしアヴィセンナという名で知られ、ラテン世界の思想に絶大な影響を与えてきた有名な医学者であり哲学者。その影響力はスコラ学を大成したとされる聖トマス・アクィナスの『神学大全』を少しでも読めばアヴィセンナの名前に随所で出くわすことからも推察できる。医学の分野では『医学典範』という著書で有名で異郷の地ヨーロッパでも長らく教科書として使われていたという。そんな彼は現在のウズベキスタンにあるブハラで生まれ、イラン各地で活躍した後、現在のハマダーンで没していた。そのためハマダーンに廟がある。現在の廟は1954年に建てられたもの。

さて、本題に戻ろう。ハイヤームの廟と比べるとちょっと「ひねり」がない感じがする。ただ、全体としてはテュルク系の遊牧民の墓建築のスタイルを踏襲しているようだ。というのは、テュルク系遊牧民の世界では、墓塔を建てる伝統が存在してきたのだが、これら2つの墓建築にもそうした流れを踏襲しているように思われるから。(イランにはペルシャ系の言語を話す人々とテュルク系の言語を話す人々とが混在してきた。もちろん、両方を同じくらいよく話す人々もいる。)壁で囲まれたのではなく、柱で囲まれたオブジェのような墓塔建築は他にも見かけた。例えば、同じくハマダーンにあるバーバー・ターヘル廟がそれにあたる。(残念ながら写真はない。)

こうしたものには「新しさ」と伝統との融合を見るような思いがする。(ちなみに、このような傾向は建築のみならず、現代のイラン絵画にも見ることができると思っている。)

キャマーロル・モルク廟
写真364 キャマーロル・モルク廟
(ネイシャーブール)

キャマーロル・モルク廟
写真357 孔雀の羽のような模様のモザイクタイル装飾
(キャマーロル・モルク廟)

これら(写真364、写真357)はネイシャーブールにあるキャマーロル・モルクの墓。この人はイラン南東部のケルマーンという街出身の画家。近代西洋絵画の画法を取り入れて活躍した人らしい。(私も絵は見たことがない。)1940年になくなるまでこのネイシャーブールで創作活動を続けていた人らしい。ハイヤームやイブン・スィーナーのような歴史的大人物と比べるとかなりマイナーな人ではある。

シェイフ・アッタールという古い詩人の廟と同じ敷地内にあるのでついでに立ち寄ってみたという感じだったが、期待していたよりずっと楽しめた。(「タイル」というテーマがあったおかげで!)この建築もオブジェ風だが、しっかりイラン的な建築の要素で構成されている。まず、敷き詰められた青いタイル。こうしたモザイクタイル(写真357)は、ティムール朝期以降に大きく発展した伝統的な技法だ。全体の曲線的な形もモスクのファサードなどでよく使われるイーワーンの形を応用しているように見える。窪みが一つだけのムカルナス(鍾乳石飾り)のような形?タイルの模様については、孔雀の羽のようなデザインになっていて、エスファハーンにあるマスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーのドーム内側の模様に通じている(ヒントを得た?)のではないか、と私は思った。

ハラメ・モタッハル広場
写真289 ムカルナスで装飾されたヴォールト
ハラメ・モタッハル広場(マシュハド)

ムカルナスと言えば、ネイシャーブールにも近い聖地マシュハドのハラメ・モタッハル広場(エマーム・レザーの聖廟複合体)で見かけたヴォールト天井にムカルナスが敷き詰められているというパターンを見て、かなり驚いた。この複合体は未だにどんどん拡張工事が進んでいるようなのだが、写真289はそうした箇所の一つ。

もしかしたら、こうした飾り方はそれほど珍しいものではなかったのかもしれないが、私としては初めて見たので驚いて思わず写真を撮ってしまった。普通、見慣れたムカルナスはドームかイーワーンで使われているので新鮮だった。確かに、ドーム、イーワーン、ヴォールトのいずれもがアーチの応用型なので、兄弟みたいなものだから、確かに「ありうる組み合わせ」ではあるのだが。

新しいイスラーム建築

エマームザーデ
写真588 名称不明のエマームザーデ(ヤズド)
ファサードの威容

エマームザーデ
写真575 名称不明のエマームザーデ(ヤズド)
ファサードのムカルナス。シャンデリア付き。

エマームザーデ
写真578 名称不明のエマームザーデ(ヤズド)
ドームやアーチネットを複雑に組み合わせた見事な天井

エマームザーデ
写真582 名称不明のエマームザーデ(ヤズド)
ドーム状天井の壮麗なムカルナス

ヤズド郊外にあるチャク・チャクからヤズドに帰ってくる途中で見かけた名称不明のエマームザーデ。この建物の堂々たる正面写真588)が、伝統的なモスクやエマームザーデばかりを見てきた私には、何か違和感を感じさせた。イラン的な青いドームとファサードの上に建てられているドゥ・ミナール(2本のミナレット)は伝統的なイランのモスク建築の様式を踏襲している。ここまではよい。しかし、この建築ではさらにその前面にターラールが付けられている。この点が違和感を感じたところなのだと思っている。というのは、モスクや墓建築にイーワーンが盛んに用いられる以前は、こうしたターラールを用いた様式があったのだが、そうした様式とムカルナスで装飾されたイーワーン、さらに青いタイルという3つの組み合わせというのは私は見たことがないからだと思う。(ただ、世俗建築ではターラールとイーワーンの組み合わせはエスファハーンのチェヘル・ソトゥーン宮殿などにある。今から振り返れば、私がヤズドを訪問したときには、まだそれらを見ていなかったことも違和感の要因だったと思う。)そうした初期のイスラーム建築の様式と盛期のイラン的なイスラーム建築の不思議な融合がここにあるように思えた。

建物の中も期待以上に素晴らしかった。写真575は正面のイーワーンのムカルナス。色使いが繊細というか絶妙で、非常に壮麗な出来映えだ。中央にシャンデリアがあるあたりが古典的な建築と大きく違うところ。まぁ、個人的にはこのシャンデリアはいらないとも思ったのだが…。(ただ、このシャンデリアは夜になると煌々と明かりを灯すと予想される。それを見ないと最終的には判断できないとは思う。)

写真578は建物内部の天井。ドーム状の窪みを連ねているデザインが斬新。こうした形は(私が知る限り)古典的な建築には見られない。写真582はモスクで言えば主礼拝室に当たる場所の天井。ドーム状の天井のほぼ全面をムカルナスで装飾している。模様の細かさがムカルナスの凹凸をさらに引き立てているように感じられた。この写真ではわからないがドームへの移行部のアーチの複雑な組み合わせも見事なもので、歴史的に有名なモスクと比べてもこの建築は全く見劣りしない素晴らしいものだった

こうした作例を見たことがこのページのタイトルにある「まだまだ健在!」という実感に繋がっている。

夜に映える建築

フェルドウスィー橋
写真1016 フェル ドウスィー橋(エスファハーン)

鉄道駅
写真1396 エスファハーンの鉄道駅

写真1016は古都エスファハーンにあるフェルドウスィー橋。ここはザーヤンデ・ルードという川のほとりに発達したオアシス都市。この川には3本の古い情緒ある美しい橋が架かっているのだが、このフェルドウスィー橋はそれらの間にありながら、全くというほど趣を異にしているため目立っている。この川辺はいつも夕方になると夕涼みにやってくるイランの人たちで賑わっており、そうした中で鮮やかな青のライトアップと噴出が涼しさを演出している

写真1396エスファハーンの鉄道駅。イランや中東のライトアップは、原色が強くてけばけばしさを感じさせるものが多いのだが、この駅のものはそうしたところがほどよく抑えられていて、なかなか綺麗。なお、内部はかなりシンプルな造り。



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イラン建築のタイルについて
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