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サファヴィー朝期のイランのイスラーム建築2
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メイダーネ・エマーム(イマーム広場)以外のエスファハーンにあるサファヴィー朝建築


チェヘル・ソトゥーン宮殿
1647年、エスファハーン

庭園とファサード
写真900 庭園とファサード

ファサードのイーワーン
写真930 ファサードのイーワーン

ターラールの天井
写真905 ターラールの天井

アッバース2世(在位1642-66)によって創建されたサファヴィー朝の宮殿。ファサードには伝統的なターラールを採用している(写真900)。ターラールは宮殿建築に用いられる場合、広々とした戸外のレセプション・ホールとなるのが通例であり、贅沢な装飾が施されることも多い。チェヘル・ソトゥーンの場合、鏡を貼り詰めた柱、小壁、ムカルナスや、極彩色の寄木細工による天井などが見られる(写真930、写真905)。

ところで、どこにでも書いているので敢えて書きたくないが、チェヘル・ソトゥーンとは「40の柱」という意味。ターラールの20本の柱が建物の前にある水面に写って……ということ。

レザー様式の絵画
写真912 (たぶん)レザー様式の絵画

大広間
写真918 大広間

宮殿の内部は、具象的な絵画と抽象的な文様の両者からなる彩色装飾によって充たされ、かつまた、甚だ調和の良い色彩を持つヴォールト天井で覆われている(写真918)。

絵画については、レザー様式に則って描かれた若い男女の遊行図や、写本挿絵と同種の構図で描かれた壁画を見ることができる(写真912)。レザー様式とはサファヴィー朝がガズヴィーンからエスファハーンに遷都した(1597年)後、この地で花開いた様式でエスファハーン派とも呼ばれる。浮世絵の人物像のように理想化された人間のプロポーションは、ときに不自然さを感じるが、レザーの場合は、その極端にのばされた手・足・身体は柳のように背景の植物や雲、ナスターリーグ体の文字列との相乗効果で、実に優美かつ繊細な雰囲気を醸し出している。

この他にスライマーン一世(在位1666-94)の治世下で活躍したムハンマド・ザマーンの遠近法および明暗法を取り入れた絵画様式に則った歴史画も見かける。


ヴァーンク教会
1655〜64年、エスファハーン

正門
写真1223 正門

中庭の鐘楼
写真1224 中庭の鐘楼

教会正面
写真1225 教会正面

教会入口のタイル
写真1230 教会入口のタイル

ヴァーンク教会はアルメニア教会に属している。エスファハーンにはジョルファー地区という地区があり、そこにアルメニア人が集住している。これはサファヴィー朝期の経済政策としてアルメニア商人を首都に強制移住させたことの結果である。

門の入口の上に塔がある(写真1223)。門があって中庭を持っているというのは中東らしい建築のスタイルといえる。「ヨーロッパ」の教会では基本的にこうしたスタイルはとらない。中庭には鐘楼らしき建造物がある(写真1224)。土台から円柱で上部を支え、上部はアーチを用いているというあたりはモスクなどの内部構造と同じパターンであるといえる。写真1224の左に見えるのが教会の本体(礼拝堂)。鐘楼の奥にはイーワーンがある。

礼拝堂はドームを戴く(写真1225)。教会がドームを持っていること自体はそれほど珍しいことではないが、ドームの形がペルシャ的なのが目を引く。外壁には多くのアーチ型の窪みがついている。こうしたアーチを用いた装飾はムスリム世界の建築では多用される。ただ、モスクなどと違うと感じるのは、モスクなどでは中庭方向に中心があると感じさせる造りである(具体的には、中庭向きのイーワーンを設けてそこを装飾し、その裏側は装飾が乏しいことが多い)のに対して、この建物では建物自体が中心で建物自体の外側に向けて装飾されているように感じられることである。少なくとも、特定の方向に特化せず、相対的にではあるが全方位的な印象を受ける。例えば、入口から見て側面にも前面と同じように装飾されている。モスクなどムスリムのための建築と比べると、同じ要素を使いながら、何となく「構成原理が違う」という印象を受けた。その「原理」があるとして、それが具体的に何であるか、ということは未だはっきりしていないのであるが。

教会入口上部のタイル装飾(写真1230)。色使いなど全体にペルシャ(イラン)的。タイルはハフトランギーであるあたりが、いかにもサファヴィー朝期に起源があるだけのことはある。もちろん、装飾のテーマは宗教の相違を明確に表している。ただ、なぜか一つだけタイルの絵が違っているように思われる。


ハシュト・ベヘシュト宮殿
1669年、エスファハーン

建物外観
写真891 建物の外観

シャー・ソレイマーンの命により建てられたサファヴィー朝の宮殿。比較的こぢんまりしている。ちなみに、ハシュト・ベヘシュトとは「八天宮」という意味。

ムカルナスで装飾された天井
写真878 ムカルナスで装飾された天井

具象的な絵
写真884 具象的な絵

この宮殿には図像が多い(写真884)。しばしば「イスラームが偶像崇拝を禁止しているためにムスリムの建築は具象的な図像がない」などという説明がなされるが、それは正確ではない。単に礼拝やイスラーム的学問を行う目的をもつ施設には図像が少ないだけであって、こうした世俗建築には様々な絵画や像が用いられてきたのである。ただ、宗教建築はワクフ財産として残されやすいのに対し、世俗建築は権力者の交代などによって壊されたりすることが多いので、歴史的に残っている数が少ないだけである。(庶民の家なども日干し煉瓦が素材として使われることが多いのであまり長期間は残らない。)

建物内部について言えば、移行部を不自然に見せないのがすごい。中央の部屋のムカルナスで覆われた天井は天を表しているかのようだ(写真878)。


マスジェデ・アリー
エスファハーン

ミナレット
写真957 ミナレット

ファサード
写真960 ファサードのイーワーン

ファサードとミナレット
写真961 ファサードとミナレット

中庭
写真971 中庭

中庭は2対のイーワーンをメインとするチャハール・イーワーンの変形。中庭に面した多数の部屋は、各部屋が仕切られていて繋がっていない。対になっているイーワーンもモスクではしばしば他の部屋より強調されていることが多いが、ここではそうではなく屋根の高さが揃っている。これらの特徴はモスクというよりマドラサによく見られるパターンである。

また、再建中のためか中庭にもタイルがない。イーワーンはムカルナスでなくアーチネット。ミナレットもタイルがなく、レンガで装飾している。これはブハラのカラーン・ミナレットに似た感じ。ガイドブックによるとこのミナレットはセルジューク朝時代に建てられたという伝説(?)があるらしいが、確かに時代的にはそのくらいの時代に見られる装飾かもしれない。これらの特徴はサファヴィー朝期以前の建築と共通するところが多い。

そのようなわけで、入口近くの看板にはサファヴィー朝期の建築と書いてあったが、この建物は、恐らくそれ以前からあったのではないかと思われる。(サファヴィー朝期に大改築したということではなかろうか?)また、マドラサ的な造りであることは、かつてマドラサとして使用されていたことを示しているように思われ、そのこともまたアッバース朝の巨大帝国が分裂した後のイスラーム建築では一般にモスクよりもマドラサの数が増える傾向があったという事実とも一致するように思われる。このあたりの記述については文献もないため、完全な推測に過ぎないが。


メナーレ・ジョンバーン
エスファハーン

メナーレ・ジョンバーン
写真1202 メナーレ・ジョンバーン

片方のミナレットに登ると反対側のミナレットをぐらぐら揺らすことができるという不思議な(?)建物。サファヴィー朝期の建築なのだが、建築的にはどうということはない。観光地としても「?」である。わざわざ市街から離れたところに来るほどの価値はない。こんなしょうもないもの(?)を作って遊べるくらいのゆとりがサファヴィー朝当時のイスファハーンにはあったのだなぁ、というのが私の感想。



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