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サファヴィー朝期のイランのイスラーム建築3
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エスファハーン以外にあるサファヴィー朝建築


エマームザーデイェ・ホセイン
サファヴィー朝期に改築/ガズヴィーン

門外からの外観
写真1401 門外からの外観

ファサード
写真1409 鏡張りのファサード

建物外観
写真1418 建物の外観

ホセインとはシーア派で最も尊敬されているエマームの一人であるエマーム・レザーの息子。シーア派を奉じたサファヴィー朝の時代に廟が改築された。

入口の門の形はミラノのドゥオモを連想させる(写真1401)。あの圧倒的な質感の大伽藍と比べると、ちょっとコミカルに見えるが。中庭に入ると、そこは比較的広々としており、タイル装飾などもしっかりしていて美しい(写真1418)。しかし、鏡張りのファサードは、けばけばしささえ感じさせる(写真1409)。ただ、これはエマームザーデではよくあるパターンではあるのだが…。


マスジェデ・ジャーメ
12世紀/ガズヴィーン

門を通った後の通路
写真1426 門を通った後の通路

主礼拝室のイーワーン
写真1434 主礼拝室のイーワーン

このモスクも創建は12世紀にさかのぼるのだが、サファヴィー朝期にかなり増築されているとのことなので、サファヴィー朝期の建築のところに載せた。

このモスクは門をくぐってもすぐには中庭まで通じておらず、途中に通路があったのに驚いた(写真1426)。カイロの古いモスクにはジヤーダという外壁とモスク本体の間の空間があった。それとはちょっと違うのかもしれないが、それと近いものを感じて非常に興味深かった。

さて、中庭に入ると思っていたよりもずっと大きなモスクであることに驚いた写真1434)。現在のガズヴィーンはそれほど大きな町とは言えず、観光地も1キロ四方くらいに収まるくらいの大きさだったからである。しかし、さすがに元サファヴィー朝の首都だけのことはある。ティムール朝のモスクやマドラサなどを見た際に感じたのと似たような印象を受けた。つくりの大きさが似ているのである。(ただ、最高傑作たるマスジェデ・エマームやシェイフ・ロトゥフォッラーと比べてしまうと繊細さに欠ける感は否めない。)

しかし、建物内部は修復中で入れなかったのは残念。中庭は2対のサイズが異なるイーワーンから構成されたチャハール・イーワーン形式。サファヴィー朝ではこうしたスタイルが好まれたのだろうか?エスファハーンのマスジェデ・アリーなど、他のところでもこうしたスタイルを見かけたので、そう思った。


チェヘルソトゥーン博物館
ガズヴィーン

建物の外観
写真1449 建物の外観

室内の天井
写真1444 ムカルナスで装飾された天井

かつてのサファヴィー朝のチェヘル・ソトゥーン宮殿。エスファハーンにも同名の宮殿があったが、それとはもちろん別の建物。恐らく2階のテラスを囲む柱が沢山あることと名前に関係があるのではなかろうか?(チェヘル・ソトゥーンとは「40の柱」という意味。)

これはイランの世俗建築がどのように飾られていたのかを知る良い資料である。室内の天井を飾るムカルナスと絵の組合せなどが見事だったし参考になった(写真1444)。エスファハーンのアーリー・ガープー宮殿よりもこちらの方が状態がずっと良い。資料としての価値もこちらの方があると思った。一見に値する建築である。

なお、現在では建物の中は博物館になっており、ほとんどはイランの書道作品の展示。


ゴンバデ・サブズ
マシュハド

ゴンバデ・サブズ
写真266 ゴンバデ・サブズ

「ゴンバデ・サブズ」とは「緑のドーム」という意味らしい。サファヴィー朝期に建てられた後、何度か改修されているそうだ。方形の建物の中央にタイル装飾されたドームを頂くというのは、ペルシャ文化圏の聖廟建築の典型的スタイルと言える。

ガイドブックでは建物の中には入れないと書いてあったが、入ることができた。ドームはアーチネットを隅に使ったスクィンチで支えられている。

一般論になるが、マシュハドの建築はアーチネットが多く、中央アジアと似ているという印象を受けた。



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