債務整理キャッシング
台湾旅行2006
このページの一番下へ

主な訪問地一覧

16日(金)
誠品書店(市政府付近)
17日(土)
国立故宮博物院
行天宮
龍山寺
華西街観光夜市〜西門町
18日(日)
九分(九イ分)
士林観光夜市
頂好と西門町
20日(火)番外編
東京藝術大学大学美術館
(ルーヴル美術館展)
国立西洋美術館


今回の旅のコンセプトは「中国のハイカルチャー、台湾のサブカルチャー」(注1★)。これらを少し見て取りたいというのがあった。

(注1★)「中国」というのは中華人民共和国のことでも、中華民国のことでもない。そうした国民国家としての政治体ではなく、歴史的には専ら漢字によって公的な文書を作成した支配層が実質的に支配権を行使した地域を漠然と指すものとする。


第一部 中国のハイカルチャー

故宮博物院
写真1521 故宮博物院

「中国のハイカルチャー」をみる上でうってつけの場所が台北にある。世界四大博物館のひとつとされる国立故宮博物院である(写真1521)。とにかく、これまで十分に感銘を受けるほどのものを中国の文化からは受けたことがなかったため、これから深めていくための取っ掛かりをつかめればそれでよいというのが訪問前に目論んでいたことである。美術の分野に限定しても、青銅器、陶磁器、書道、絵画、手工芸品、玉器、服飾、建築など様々な分野があるが、今回はとりわけ陶磁器に焦点を当てて重点的に「予習」して行った(注2★)。

(注2★)陶磁器に焦点を当てたのは、第一に中東も陶器製造は盛んであり、ラスター彩やミナイ手など様々な独自の技法を開発していたのだが、それらに対して中国の磁器が大きな影響を与えたとされているからである。また、朽ちることのない陶磁器は、歴史の一次資料としての価値も高いものであり、歴史研究の際に陶磁器について知っていることは非常に有利だと考えられるからでもある。さらには、私はイスラーム建築に関心があるのだが、特にイランの建築様式ではタイルを多用する。タイルと陶器は同類であるため、関連性が高い分野を研究することでいずれの領域に対しても理解が深まると考えたことも理由である。第四には、中国は陶器ではなく磁器を生産できた唯一の地域だったことが挙げられる。陶器は他の地域でも作られていたが、磁器は19世紀のヨーロッパが中国の磁器を模倣することができるようになるまで、他の地域では作ることが出来なかった高度な技術だったのである。その意味で、磁器は「中国」の人々にとって非常に重要な文化的および経済的意味を持っていたと考えられる。これらが概ね私が陶磁器に関心を持った理由である。

結論を言えば、定窯の白磁の素晴らしさを「発見」できたことこそ、今回、故宮博物院を訪問した中で最大の収穫だった。これを以って上記の目的は達成できたと言ってよい。

定窯の白磁が私にとって素晴らしいのは、何よりもそのシンプルさと繊細さであり、滑らかな釉から発せられる「気品ある輝き」である。それと比較すると、青磁は予想していたほどには美しいとは思えなかった。また、明代の「新装飾時代」になると、色彩や器の形などが多彩にはなるが、そうしたものは現代の技術の方が優れているため「すごさ」を感じにくい。逆にシンプルな白磁に心を惹かれることになった。

以下、その他に故宮博物院で見たことについて簡単に列挙しておく。

◆青銅器の鼎(かなえ)は本で見て思っていたよりも大きく迫力があった。寺で実際に使っているのを見たおかげで、使い方がわかった気がする。今回見た展示品では予想していたほど優れた獣面文(旧名;トウテツ文)の作品を見ることはできなかった気がする。

◆漢代の文様に四神獣や陰陽五行に関する図像が頻出するようになる。

◆唐 白磁穿帯壺(紐で吊るせる凹みがついている) などはなかなかよい作品である。

青銅器から陶器への連続性(陶磁器はかつて青銅器だったものの代用品としても使われており、青銅器は使われなくなっていった)なども興味深い。器の形成に関する技術と単色釉での彩色技術が宋代にほぼ完成。宋代には喫茶の流行や青銅器の鋳造が禁止されて、陶磁器の需要が飛躍的に増大したことがその背景にある。この時代に技術的・芸術的にも発展し、儀礼品はもとより、生活用具や貿易品として生産されるようになった。明代以降の多色で多様な形態への発展は、商品価値を高めるための奮闘の産物とも言えそう。元により西方との交通が活性化していたために、西方のエナメル釉の陶器などから「反作用」的に影響を受けることができるルートが整ったため、明代にそれらが花開いたという面もありそうだ。

◆新装飾の時代たる明代では 景泰の琺瑯(音声ガイド227)に、イラン(イスファハーン)のマスジェデ・エマーム(イマームのモスク)のタイル装飾に見られるような蔓草文様があった。西方からの影響を受けている点に興味がひかれる。また、梵語が記された青花の磁器もあったのは興味深い。海を通じてインド方面に輸出するためだろうか?

◆明代の漆器は工業技術の発展を示している。

◆清代の美術は微細な技巧や色彩の多様化などに走る。悪い意味でのバロック的な退廃を感じる。やたらと小さいものを技巧を凝らして作るのはすごいことだが、それ自体、役に立つわけでもなく、商品あるいは献上品としての付加価値をつけるためだけの行為に過ぎないように見えた。その意味で、清代の中国はヘゲモニー喪失に向かい、流通と生産よりも金融の力で生き延びる没落しつつあるヘゲモニー国家と似ているのかもしれない。流通は明代の永楽帝の時代に失われ、清代のうちに生産力の優位が揺らいだのではないか?その中で生き延びるために「役には立たないがすごい技術」に進んでいったのではないか?


第二部 台湾のサブカルチャー

この問題に関しては、街を歩いていて気になったことなどをいくつか書き留めておくにとどめる。ただ、予想以上に楽しめたことは確かである。

大陸の自転車と美麗島のスクーター?

「中国」というと「群れをなして走る自転車」というイメージがある。しかし、台湾ではそれほど自転車を見かけることはない。しかし、スクーターがやたらと走っていたりする。これがなかなかの「見もの」なのだ。思うに、スクーターに乗ることは、山がちな地形と経済性(自動車やバイクより安い)、人口密度がそこそこの高いこと(駐車スペースが限られていることも含む)などから考えて「合理的」な選択と言える。信号待ちの際、レースのスタート位置のような様相を呈するのが印象的。大陸の自転車が次第に自動車に切り替わっていくのと同じように台湾も変わっていくのかどうか、注目してみたい。

ちなみに、これと同じ傾向の現象だと思われるのが、建物や地下鉄構内などの天井が妙に低いこと。四国くらいの面積の島に2000万人以上の人が住んでいるので、土地の有効活用が重要であるため、階数を稼ぐのに有利な選択をしたのではないかと思われる。少し圧迫感を感じるほど天井が低く、日本にいる感覚で8〜10階建てくらいのビルが12階建てだったりする。地下鉄の天井が低いのも建設する観点からすると経済的ではある。

いずれも購入・建造コストが安上がりであり、かつ土地利用の効率性も高いようである。

スクーター軍団 地下鉄駅でテレビを見上げる若者 行天宮で祈る人々
写真16 スクーター軍団
大きな交差点ならもっと多い
写真00
地下鉄駅でテレビを見上げる若者
写真1546 行天宮で祈る人々

素直な若者たち?

若者が寺でお参りしているのも印象深い。街なかにあるお寺に線香をあげてお参りしたり、寺の中には入らずに入口で頭を下げて祈っていたりと、いろいろなやり方があるようだが、それでもお参りしたり祈ったりすることが、ごく自然に行われている。由緒あるお寺などに行くと、年配の人だけでなく多くの若者がお参りしていたりする。エレクトロニクスが大きな産業的位置を占めるような、高い経済力を持つ台湾で、これだけ宗教的な行為が日常に組み込まれていることに少し驚く。まぁ、エジプトに旅行したときに一緒に行動したオーストラリアの人たちも食事の前に「当然のこととして」祈っていたし、他の多くの地域ではそれが当たり前。ある意味では日本のような宗教的無関心の方が少数派なのかもしれない。

また、そうした若者たちが街中にある大画面のテレビ映像を見て笑ったりしている姿も日本や他の地域ではあまり見られない光景で面白い。街の大きなテレビ画面で映像や宣伝が流れていても、日本を含めた多くの地域では、普通、そこに注意を集中させることはあまりないと思う。ところが台北の複数の場所では違った。若者たちがそうした映像にある程度きちんと注意を払い、その意味を把握しながらみているのである。そして、その内容に反応して笑ったりしている。これはちょっと新鮮だった。

これだけが根拠ではないが、台湾の若者たちの以上のようなところに、ある種の素直さというか実直さのようなものを感じ、好印象を持った。(ある意味では上で述べた経済合理性とは異なる面があることを示していると思われる。)

特色ある地域性は台北の魅力の一つ

台北の街は地域性が豊かだという印象がある。清代から残る街もあれば、「近代的」な都市の様相を呈している頂好のようなところまで多様な都市景観を見ることができる。あるところはまるで日本の昭和30年代のようなレトロな雰囲気を醸しているかと思えば、もっとずっと新しい印象を受ける地域もある。非常に多様な都市だという印象を受けた。これは都市としての台北の魅力だと感じられる。(ただ、現実にはこれは「地域間格差」であるかもしれないので注意が必要。)

私が気に入っているのは士林西門町。あまり興味深くないのは頂好。前者はいずれも若者の町である。後者はやや高級感のあるショッピング街で日本の大都市とあまり違いを感じない。

士林は古いマーケット街が新しいマーケット街に変わったところのように見受けられた。マーケットの構造からは、比較的普遍的なマーケットの構成原理が読み取れると思われたから。例えば、イスラーム世界のバーザール(スーク)やヨーロッパのマーケットにも共通するパターンとして、宗教施設と隣接して商業施設が広がっていること、新鮮さを求められる食品はやや集まって市場群のやや外側にあること、などを挙げることができる。

それから、台北は眠らない街である。夜遅くまで人が出歩いている。ただ、これは台北だけの特殊な事柄だとは思えない。人々の活動が夜型なのは暑い地域の都市ではよく見られることだから。その意味では、台北が特段変わっているわけではない。ただ、居酒屋など飲み屋をほとんど見かけないのは台湾の特徴と言えそう。逆に多いのはコンビニ。日本の学生街(北大周辺)並みにコンビニがある。コンビニが多いのは、夫婦共働きが多いために台湾では外食が多いそうだが、そのことと関連しているという。飲み屋が少ない理由は不明。台湾の若者は夜市に行ったりするので、居酒屋やバーの類が入ってくる前に夜市のお祭り的な空間が先に発展したことも飲み屋が少ない理由かもしれないし、お茶を飲む文化が先にあったことも一因かも知れない。まぁ、とにかく理由はよくわからない。

マーケティング戦略と「表象としての日本」

台北の街を歩いていて、まず気づいたのは、表通りの店はほとんど女性、特に若い女性をターゲットにしているということだ。街で見かける看板も日本語を使ったものがしばしばあり、特に興味深かったのは丸文字のような字体がしばしば使われている(写真1623)。服飾、日本食、音楽や映像、電子機器、書籍(日本語の本や日本旅行用ガイドブック)など、さまざまな「日本のもの」が目に付く(注3★)。こうしたところから、台湾では街を歩くと、「表象としての日本」を利用しつつ、若年層をターゲットとした「マーケティングの一貫した戦略」があると感じた。この認識を得たことは、台湾での街歩きにおける最大の収穫の一つだった。

(注3★)どのような状態だったかについて、自分自身の備忘録という意味も込めて、もう少し具体的に書いておこう。電子機器やおもちゃ、CDやDVDなどの商品では日本で売られている製品をそのまま輸入ているのが非常に目立つ。つまり、日本語表記のままの製品が輸入されているのが台湾においては特徴的であるように思われた。(電源プラグや周波数などが日本とほぼ同じであることもその背景にはあると思われる。)特に、CDやDVDを売っている店では、日本のアーティストのCDがかなりの比重を占めていたし、街でもBGMとして日本語の歌がしばしば流れていた。その上、日本の最新アルバムが即日入荷されている(らしい)から驚きだ。本については、市政府近くの誠品書店の中には誠品日文書店という日本語で書かれた本を専門に扱う書店まであった(写真1516)。普通の本屋でも、カタカナやひらかながかなり普通に使われているし、売っている旅行ガイドでも日本についてのものが非常に多い。これは本当に予想を遥かに上回る数だった。ケーブルテレビなどで日本のアニメが放送されていることなどは、もはや言うまでもないだろう。さらに食べ物についても、お好み焼きやしゃぶしゃぶ、回転寿司など「日式」のものをかなり見かけた。

誠品日文書店 TAMAGO YA 丸文字風の看板
写真5 誠品日文書店(日本語書籍専門) 写真1546 TAMAGO YA(西門町)
(日本語の読み方を中国語の意味に充てている)
写真1623 丸文字風の看板(士林)

こうした形で日本語や日本のものが流通していることと並行して、片言の日本語を話せる人は意外と多い。「日語会話教室」の看板も随所で目にする。

以上のような様子を見るにつけ、台湾ほど日本に深い関心を寄せている(少なくとも、日本に関連するものに囲まれて生活している)人が多い地域は他にないのではないかとさえ思う。

ただ、この関心もある意味では台湾の諸企業のマーケティング戦略の上に乗っていると見ることができる。つまり、「日本」が魅力的だから扱われているというより、「『日本』という魅力的な表象」を作り出すことで商売をうまく回している面「も」あるのではないだろうか?日本との地理的な近さと日本の経済力、中華人民共和国と中華民国との政府間関係、そのことと関連した国際社会での不利な扱い(国連やその機関に正式な「加盟国」として登録されないことなど)などの要因が重なりあった状況があり、そうした台湾の状況を最も有効に機能させる戦略の一つとして浮上しているのが、上記のようなマーケティング戦略ではななかろうか、と私は思っている。

九分の景観 台湾といえばウーロン茶
写真1610 九分の景観 写真1615 台湾といえばウーロン茶

最後にもう一つだけ話題を付け加えると、九分への観光が現地で盛んな背景には、近年の台湾における「本土化」――自分たちのアイデンティティを「中国」ではなく「台湾」に求めようとする一種の「台湾ナショナリズム」の台頭――との関連もあると聞いていたが、行ってみた感じでは露骨なものではなかった。むしろ、お祭りの露店のようなところに気軽に遊びに行っているような印象だった。



トップへ
inserted by FC2 system